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VOL.264「音読が脳の発達に役立つ」 [体]

◆読むことは脳を活性化する
 意味不明な文章を聞いたり読んだりする場合、脳は意味のわかる文章を読んでいる時よりも強く反応し、特に右脳の頭頂葉では反応が強く働きます。また、わかる、わからないに関係なく、文章を読むという行為は左脳も右脳も活性化させます。
 これを日本人は昔から寺子屋などで自然と活用していました。イロハ歌やイロハ歌留多に始まり、その後、漢文の素読が主眼となります。素読とは文章の意味や理解を後回しにしてひたすら朗読することです。漢文は日本語とは異なり凝縮された文章なので、直ちに理解できなくても徐々に言葉の力が浸透して時期が来ると子供たちは自然に意味がわかるようになります。当時の子供たちの脳の活性化は大したものでした。これはお寺のお坊さんが経読みをする行為と似ています。実際理解できないお経を読み続けると徐々に中身の意味が理解できてきます。

◆日本語の進化
 詩吟や漢文は語順がひっくり返ることから、反読と呼びます。読経の際には音読の方が簡潔でリズミカルですが、仏典としての意味や内容を把握するためには訓読へと移行していき、江戸時代の寺子屋では訓読が主流となりました。原文をそのまま読むのではなく、返り点をつけて読み下した方が読みやすいので、明治以降はこの方法が用いられるようになりました。
 一方、漢文の影響を受け入れた周辺国では日本語のように訓読みをすることはありませんでした。日本人は漢字をそのまま受け入れたのではなく、そこに日本語の意味を上乗せしました。さらに漢字を連ねた熟語には漢文の文法構造をそのまま反映させて日本語独自の読み方に変え、日本語としての意味を通じやすくしました。こうして日本語は漢文とは異なる独自の進化を遂げたのです。日本人は漢文を見れば読めなくても意味が推測でき、訓読みの長い伝統によって、漢語の意味に対して勘を働かせることができるようになったのです。そして日本人は漢字の音読みと訓読みを交えた和漢混合の文を確立し、日常的に二重言語を使い
こなしてきました。
 本居宣長は古事記や万葉集には日本語としての文章の骨格がないと言いました。漢文は形式が決まっていて論理的なので、それを日本語に取り入れて日本語が論理的になり、明治時代に西洋の言語が入ってきた時も日本語に訳して読みこなすことが速くできるようになりました。おかげで明治維新後、日本は欧米諸国の文化・文明を素早く取り入れて発展することができました。

◆子供には音読を
 子供の頃は音読をしますが、それが黙読に移行する時期は人によって異なります。声としては出さなくても気持ちの上で唇に音を意識しながら朗読するように速めに読むことがあります。これは心の中で声を出して文章を読んでいると言えます。これを繰り返すことで両側の前頭葉が活性化します。この読み方は文章を目で追うだけの黙読とは大きく異なります。小・中学生の読書を指導する先生は読書のスピードを上げるために黙読を勧めます。ところが、黙読を速めるよりも音読をする期間を長くする方が脳の活性には良いのです。
 子供は音読を減らし黙読を増やすと、余った時間でマンガを読んだり、スマホをする時間が増えます。黙読の方が楽なのです。目に入った情報は直ちに後頭葉視覚野から側頭葉に送られ処理されます。その後、頭頂葉小葉に送られて意味が理解されます。音読の場合、音の言葉と文字の言葉の双方を用いるために高度な活動となり、脳の活性化が進みます。黙読よりも音読の方が脳が働く領域が広く、活性化するのです。漢字も英語も音読することで左脳の側頭葉で認識されるので記憶されます。目に入るマンガやスマホ、ゲームなどは一時的に脳が反応します。最近、子供がパソコンを使ってゲームソフトを作成することを自慢のように話す親がいますが、子供の脳の発達には効果がなく、逆に脳を傷害させてしまうこともあるので注意が必要です。基本的に子供の時期には声を出して日本語や英語の教科書を読むことで脳は前頭葉や側頭葉を含めて活性化が進み、記憶力を高めることができます。江戸時代の寺子屋がその良き手本なのです。

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